『倭人の条』殺人紀行
インターネット版 鴫沢遊児
怒濤の韓国編
1.アルバイト
『求む!男女ペア1組 旅行好きな方 簡単な調査 三食付き宿泊代当方負担 日当3千 7月20日より約60日間・・・連絡先 文学部 日向幸彦助教授』
菊池大和は大学の学生課でアルバイト募集の掲示板を見つめていた。変わったアルバイトだと思いながらも、彼は同じ大学に通う幼なじみの大神弥生を誘って、日向助教授の部屋を訪ねた。
二人が部屋に入ろうとしたときであった。ドアが開いて、中から男が飛び出して来て、大和たちにぶつかりそうになった。その男はメガネをかけた長髪の背の高い男で、二人を見ると一瞬ニヤッと笑みを浮かべて小走りに行ってしまった。
「誰かいるのかね」
中から日向が二人を呼んだ。日向助教授は以外に若く、柔和な感じのスマートな男であった。
日向は古代史が専門で、今回の調査は『邪馬台国』がどこにあったのかを検証するためのものであった。
「でもどうして、男女ペアがいいんですか」
大和が聞いた。
「男と女ではものの見方が違うから、いろいろな意見を出して欲しいんだよ。昔も今も、人間は男と女だけだからね。中にはどっちかわからないのもいるけど・・・・・まあ、恋人同士の方が一緒に仕事をしていても楽しいだろうし」
「ちょ、ちょっと待って下さい。ぼ、ぼ、僕たちは恋人同士なんかじゃないんです」
「そうですよ。なんで私が大和の恋人にならなきゃいけないんですか。冗談じゃないですよ」
弥生の剣幕を見て大和は、そんなに強く否定しなくてもいいじゃないかと勝手に思った。
仕事始めは韓国からということであったが、二人ともパスポートは持っていたし、何しろタダで旅行できるのが気に入った。
「申し訳ないんだがこれから会議があるのでね。採用かどうかは明日連絡するから」
腕時計を見ながらそう言うと、日向は、なぜか弥生の電話番号だけを聞いた。
その日の夕方、大和は、日向助教授の部屋のドアのところで会った背の高い男が、大学の正門の陰からこちらを見つめていることに気が付いた。
「誰なんだろう」
大和は気になったが、問いつめてやろうというだけの勇気がないのは自分自身が一番よく知っていた。
次の日、弥生の携帯電話に日向から連絡が入った。日向はまず、二人がアルバイトに採用になったことを告げ、7月20日の朝9時に成田空港に来ること、チケットは日向が用意する事、今回の調査旅行のことは誰にも言わないことと言い、最後に、アルバイト採用の一番の決定理由は、二人の名前が古代史の調査にぴったりなのだ、いや、自分も含めて三人の名前が、と一方的にまくしたてて電話を切ってしまった。
「このアルバイトやめた方がいいんじゃないかな。日向助教授は、大学にはきのうから来てないって言うし、アルバイトのこと誰にも言うなってのもなんだか怪しいぜ」
大和は弥生から連絡を受けた翌日、詳細を知ろうと日向を探したが、大学はおろか、自宅にもいなかった。
「準備で忙しいのよ。それに極秘の調査なんだわ。なんだかワクワクしちゃう」
楽しそうな弥生を見て、自分から誘った大和はそれ以上何も言えなくなってしまった。
その夜弥生は、日向が言っていた名前の意味をベッドの上で考えた。
「今度の調査は弥生時代の日本、つまり大和について調べるわけね。それに日向助教授の名前は何だったかしら。何とか彦・・・・そうだ、幸彦だわ、海幸彦・山幸彦の幸彦だ。つまり、神話の時代でもあるんだわ。私たちがこれから調べようとしている時代は・・・・」
ちょうどその頃、大和も同じように名前について考えていた。だが弥生と違うのはフルネーム、つまり姓についても意味を見いだしていた点であった。
7月20日の朝、二人は成田空港で、自分たちの名前がロビーに響き渡るのを聞いた。
「私たちのことだわ」
「JALのカウンターまで来いって」
係員は二人が本人であることを確認してから、メモとチケットを手渡した。
『都合で先に行っています。ソウルの空港に迎えに行きますので SH 』
二人は10時40分発のJAL便で成田を飛び立った。
大和たちの飛行機がソウルに近づいた頃、福岡の志賀島で、ある事件が起きていた。金印公園の山側の斜面がスコップで掘られ、年老いた男の死体がそこに埋められた。大雨でも降らなければ発見されないであろう程度まで土を盛り固めると、スコップを持った男は周りに誰もいないのを確認してから、それを近くの工事現場に元あったように静かに置いた。そして下の道路まで階段を下りると、海に向かって何か黒いものを投げ捨て、そこに停めてあった白い車に乗ってその場を去った。その右手には、灰色の靄の中にかすかに能古島が浮かんでいた。
2.ソウルの男
金浦空港は小雨の中にあった。
「日向先生どこにいるのかしら」
「メモには『空港で』、としか書いてなかったからなあ。向こうで探してくれるだろう」
大和がのんきなことを言っていると、大柄な30前後の男が二人に声をかけてきた。
「私、金といいます。あなたたち菊池君と弥生さんですね。日向先生に言われて迎えに来ました」
「先生はどこにいるんですか」
大和が聞いた。
「先生は今、ソウル市内の大学で研究会に出席されています。夜ホテルで会うまで、ソウルの街を案内するよう言われました」
「どこまで勝手な先生なんだ。でもいいや。すぐ仕事をするのも疲れるし、はじめて韓国に来たんだからしっかり観光もしなくちゃね」
なに調子のいいこと言ってんの、と言いたげに、弥生が大和の脇腹を肘でつついた。
空港を出て、金の運転する車は東へ向かった。漢江が見えてきて、ヨイド地区に入ると金は車を停め、昼飯だと言って韓国式のおむすびを買ってきた。
「景色のいいところへ行って食べましょう」
三人は南山公園に着いた。昼食を済ませてから、ソウルの街が一望できるソウルタワーに昇ったが、このころから大和は誰かの視線を背中に感じていた。
「ねえ、どうしたの。さっきから全然しゃべらないじゃない」
「誰かにずっと後をつけられているような気がするんだ」
「では市内観光はやめて、ホテルに行きますか」
金が心配げに言った。
「いや、このまま予定どうりに案内して下さい。もしかしたら俺の勘違いかも知れないし」
大和はそう言ったが、油断しているように見せれば、相手のしっぽを掴めるかも知れないとも思った。
車は南大門を通って、明洞でまた停まった。
「ちょっと急用を思い出しました。30分くらいで戻りますから、店でも覗いていて下さい」
金はそう言うと、車でもと来た道を走っていった。
そのときだった。大和が弥生の腕を強引に引っ張って、目の前の靴屋の中に飛び込んだ。
「ちょっと、何するのよ」
弥生は腕をさすりながら大和をにらんだ。
「静かにしろよ。やっぱりあいつだ。ほら、前の宝石店でキョロキョロしてるやつ」
弥生が見ると、そこにはサングラスをかけた背の高い男が通りを注意深くうかがっていた。
「誰なの」
「ドア男だよ。ドア男。アルバイトの申し込みに行ったとき、先生の部屋から出てきたやつだよ。間違いなくあいつだ」
「でも、何であの人がここにいるの」
「だから、俺たちの後をつけてきたんだよ。君には言ってなかったけど、あいつ、大学でも俺のこと見張っていたんだぜ」
「そうなの?どうしてそんなことするのかしら」
「俺にもはっきりしたこと言えないけど、このアルバイトに何か関係していることは確かだと思うんだ」
男は獲物を見失って、しばらく通りを行ったり来たりしていたが、30分経った頃にはどこかへ行ってしまったようであった。
ホテルは豪華だった。金はロビーで手続きを済ませると、二人に向き直った。
「今日はこれで失礼します。また明日、ご一緒することになると思いますのでよろしく。それから、日向先生から伝言がありました」
金はそう言って、弥生にメモを渡した。
「今日はいろいろありがとうございました」
二人が金に礼を言うと、それを待っていたかのように、若いホテルマンが流暢な日本語で二人を部屋の方へ案内した。
「日向先生は何だって」
エレベーターに乗りながら大和が聞いた。
「えーと、『今夜食事をしながら仕事の打ち合わせをしましょう。電話を入れます。SH』ですって」
「なかなか姿を現さないね。本当にソウルにいるのかなあ」
「いろいろと忙しいのよ」
部屋はホテルの外観以上に豪華であった。
「うわあ!こりゃすごいや」
「まるで超豪華新婚旅行みたいね」
弥生は何気なく言ったつもりだったが、大和には刺激的に聞こえた。
「ベッドルームはどうなっているのかしら」
奥の部屋には大きなベッドが二つ並んでいた。
「大和はそっちの部屋で寝てね。いつも煎餅布団で寝てるんだからソファーでもいいでしょう」
「あ、ああ、いいよ」
大和は期待を裏切られたような気がした。
夕食までの時間、いつ電話がかかってくるかわからないので外に出ることもできず、暇つぶしにつけたテレビは、何を言っているのかさっぱり分からなかった。
電話は7時ちょうどにかかってきた。
「地下1階の焼き肉レストランに来て下さい」
レストランは東大門にある有名な店の支店で、広い割には混んでいた。日向は一番奥のテーブルにすでに陣取っていた。
「ここのキムチは、大変おいしいんですよ」
大和は運ばれてきた料理を見て、おいしさよりもまずその種類の多さに驚いた。
「トマト以外は何でもキムチにできるそうですよ」
ビールも運ばれてきて、しばらくは料理の話になった。
女性が男性にお酌をするのがマナー違反と聞いて、大和が日向にビールを注いだ。
「注ぎ足しはだめですよ」
大和も飲んだ。
「先生。このビール、日本のよりちょっと軽いですね」
自分が未成年であることも忘れて、ビールの味にまで口を出した。次に大和が茶碗を手に持った時、日向が子供に諭すように言った。
「菊池君。だめです。茶碗を手で持ってはいけません」
「じゃあ、足で持つんですか」
少し酔った大和が応えた。弥生は一瞬笑いそうになったが、日向の顔を見て手で口を押さえた。
「韓国には韓国のマナーがあります。それが文化というものです。君がもし、アフリカの裸族と一緒に何日も生活していたら、自分だけ服を着ているのが恥ずかしくなって脱ぐでしょう。つまり、郷に入っては、郷ひろみです」
誰も笑わなかった。
雰囲気を変えようと、日向は本題に入った。
「まず、明日から菊池君には、船で黄海沿いに西海岸を下って済州海峡を通り、釜山まで行ってもらいます。弥生さんは、私と一緒に観光地、史跡を巡って南下します。いいですね」
「ちょっ、ちょっと待って下さいよ。そんな話、全然聞いてませんよ」
「それはそうです。いまはじめて言ったんですから。それに、船旅もそう悪くはないと思いますが」
「なぜ僕だけ別行動なんですか。先生はこの前、一緒の方が楽しいから、男女ペアにしたんだと言ったじゃありませんか」
「そんなこと言ったかなあ。まあ、私は弥生さんと一緒で楽しいですが」
日向は自分のことしか考えていないようだった。
「菊池君は、明日の朝4時に金さんが迎えに来ますので遅れないように。弥生さんと私は、モーニングをとってから9時頃出発ということで。いいですね、みなさん」
相手が二人しかいないのに、日向は職業柄か、おおげさに念を押した。
部屋に戻ると、大和は何も言わずにソファに横になった。
「ねえ、ドア男のこと言いそびれちゃったわね。まあ、そんな雰囲気じゃなかったけど。それにしても先生勝手よね、何考えてるんだか全然わかんないし、ねえ、聞いてるの」
大和は目を閉じていた。
「なあんだ。もう寝ちゃったの」
そう言いながら、弥生はベッドルームから毛布を持ってきて、大和の上に掛けた。
大和は眠っていなかった。ただ、眼を閉じているだけだった。