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10/29 毎日新聞より |
弥生の高床建物や住居跡発掘 |
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長崎県対馬・峰町教委は28日までに、対馬で初めての弥生時代の集落跡を同町三根の三根遺跡山辺(やんべ)区で確認した。集落は少なくとも弥生前期〜後期(紀元前3〜紀元3世紀)に存在したとみられる。同町内は、当時の対馬の中心地の一つとみられていた。町教委は3世紀の日本を描いた中国の史書「魏志倭人伝」が記録する「対馬国」の拠点集落だった可能性もあるとみて、調査を続ける。 三根遺跡山辺区は対馬西岸の三根湾に注ぐ三根川流域にあり、広さ約4平方メートル。町教委はこれまでに7000〜8000平方メートルを発掘調査した。その結果、100以上の柱穴と、高床式建物跡3、4棟分、竪穴住居あと2棟分が出土した。また、弥生土器や古墳時代の須恵器、朝鮮系の土器などの破片1万点以上と鉄製釣り針や鍛造の袋状鉄斧が見つかっており、弥生から古墳にかけての集落があったことが分かった。 「魏志倭人伝」は朝鮮半島から海を渡って最初にたどりつく倭人の国として対馬国を挙げ「土地は山険しく、深林多く、道路は禽鹿(きんろく・鳥やシカ)の径(みち)の如し。千余戸あり。良田なし」と、その生活環境の厳しさを描く。小田富士雄・福岡大教授は「対馬では初めての集落遺跡。ただ『対馬国』に直接結び付くものは確認されていない」と話している。 | ||
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10/27 日本経済新聞より |
同じ鋳型で製作 |
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佐賀県教育委員会は26日、同県神埼郡の吉野ヶ里遺跡から九州で初めて出土した弥生時代の銅鐸と「出雲(現島根県東部)出土」と伝えられる銅鐸が同じ鋳型でつかられた「兄弟銅鐸」と確認したと発表した。吉野ヶ里のものが先に鋳造された「兄」だと考えられるという。北部九州と山陰地方は、武器形祭器の銅矛で同じ形のものが確認されるなど関係が深いことが指摘されているが、県教委は「両地方の関係があらためて確認できる史料だ」としている。 県教委が比較した結果、両側に付いた鰭(ひれ)と呼ばれる部分の右側の三角形の文様、複合鋸歯文(きょしもん)の位置や、胴の部分の文様帯の構成などが一致した。吉野ヶ里のものには出雲にある目・まゆ・鼻、鳥の文様がないが、吉野ヶ里銅鐸を鋳造した後、鋳型にこれらの文様を彫り込んだのではないかと県教委はみている。 吉野ヶ里銅鐸は1998年に弥生時代後期の土層から出土。「出雲木幡(こわた)家伝世銅鐸」は、島根県宍道町の木幡家が代々受け継ぎ、花器として使用されていたが60年に銅鐸と確認された。現在は八雲本陣記念財団が所有。二つはそろって、27日から12月3日まで佐賀県立美術館(佐賀県)で開催の「佐賀2000年-名宝の旅」展で公開される。 | ||
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10/26 日本経済新聞より |
整然と並び出土 |
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三重県松阪市教育委員会は25日、日本最大の船形埴輪が見つかった同市の五世紀初めの前方後円墳「宝塚一号墳」(全長111メートル)で、家形や盾形など9種類の埴輪計約70点が、祭祀につかわれたとされる台状遺構の「造り出し」周辺から出土したと発表した。造り出しの総合的な調査は全国でも珍しい。埴輪群は本来置かれた位置のまま見つかっており、当時の祭祀や政治の様子がうかがえる貴重な史料となりそうだ。 市教委は、古墳全体で二千点以上、造り出し周辺だけでも家形埴輪を中心に140点の埴輪が配置されていたと推定。専門家は「埴輪の配置はまつりを執り行った王の権限や、被葬者を慰める儀式を反映している」と指摘している。 市教委によると、造り出しは南側が土橋で前方部とつながり、東、西、北の三方は二段の葺石(ふきいし)でふいた上、円筒埴輪の列を巡らせる丁寧な作り。 造り出しの東と西から、囲形(かこいがた)埴輪が出土、盾や家をかたどった埴輪なども見つかった。今年4月には豪華に装飾された全長1.4メートルもの船形埴輪は付近で発見された。 囲形埴輪の中には、水を導く施設とされる「樋(ひ)」のミニチュアを置いたものがあり「だれにも見られない囲いの中でしめやかに行った水の儀式を表しているのではないか」(森浩一同志社大名誉教授)との見方も出ている。 | ||
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10/21 日本経済新聞より |
銅鐸の破片出土 |
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弥生時代を代表する環濠集落、奈良県田原本町の唐古・鍵遺跡を発掘調査している同町教育委員会は二十日、青銅器の工房地区から銅鐸の破片が出土したと発表した。同遺跡から銅鐸の鋳型は見つかっているが、製品の破片が出土したのは初めてで、銅鐸の製法を知る上で貴重な発見という。厚さがほかの銅鐸の約三倍もあり、作りも粗雑なことから、同教委は失敗作とみている。 銅鐸片は縦7センチ、横6センチ、厚さ7〜9ミリ、重さは190グラム。銅鐸本体は法衣の袈裟に見立てた袈裟だすき文と呼ばれる文様が施されていたとみられ、銅鐸片は本体の中央右側の部分とみられるという。 復元すれば高さ40センチ前後の銅鐸と推定され、同時に出土した土器などの遺物からみて弥生時代中期末(紀元前1世紀)に鋳造されたらしい。 | ||
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10/13 毎日新聞より |
丹後に有力な王? |
ガラス玉など200個以上 |
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京都府峰山町赤坂の赤坂今井墳丘墓から、ガラスや碧玉生の管玉や勾玉を200個以上連ねた類例のない頭飾りが見つかった。12日発表した同町教委と府埋蔵文化財調査研究センターによると、女王・卑弥呼が活躍したとされる3世紀前半(弥生後期末)の築造で、同時期の頭飾りの出土は全国で初めて。同墳丘墓は弥生最大規模で、有力なクニだった丹後地域の王と近親者の墓とみられる。頭飾りは、邪馬台国時代の王者の装いをうかがわせる一級の資料となりそうだ。 頭飾りは、墳丘の6カ所の墓穴のうち、2番目に大きい墓穴(東西7メートル、南北4メートル)の木棺内に埋まっていた。遺体や棺はなかったが、朱がまかれた被葬者の頭とみられる付近にスカイブルーのガラス製管玉や緑色のガラス製勾玉、濃緑色の碧玉製管玉が長さ約120センチで1連、約60センチで2連の計3連、U字型に規則的に連なって見つかった。両耳付近には、先端に勾玉を付けた耳飾りもあった。 墳丘墓中央では南北14メートル、東西10.5メートル、深さ2メートル以上の墓穴を確認。王を埋葬したとみられる長さ7メートル、幅2メートルの弥生最大の木棺が埋まっていた。頭飾りをした被葬者は、王の近親者の女性とみられるという。 現地説明会は15日午後2時から。北近畿タンゴ鉄道峰山駅から北西約2.5キロ。 | ||
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「赤坂今井墳丘墓」・・・ 山を削り、盛り土をして南北37.5メートル、東西35メートル、高さ4メートルの墳丘を築造。墳丘内に6カ所、周辺のテラス部にも大小16カ所の墓穴がある。山陰と北陸に分布する「四隅突出墓」と違って四隅は直角になっており、丹後の政治的な独自性が指摘されている。 | ||
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「ガラスの王国」証明・・・福永伸哉・大阪大助教授(考古学)の話 丹後が「ガラスの王国」だったことを証明した貴重な成果だ。「倭国乱」から卑弥呼の時代にかけ、丹後が吉備(岡山県)と並んで西日本域でもっとも有力な地域であることを改めて示した。大きな歴史の流れの中で、丹後を正確に位置づける必要性を感じる。 | ||
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10/8 毎日新聞ほか |
本殿中心の柱など発見 |
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平安時代末(12世紀ごろ)の古代出雲大社本殿のものとみられる巨大柱、宇豆柱(うずばしら)が発掘された島根県大社町の出雲大社境内で、本殿の中心に位置する「心御柱」(しんのみはしら)と南東角の「側柱」(がわばしら)とみられる別の巨大柱が新たに見つかった。同町教委が7日、発表した。古代本殿が、大社に伝わる「金輪造営図」(かあなわのぞうえいず)通りの大きさだったことを裏付け、16丈(約48メートル)の超高層神殿だったとされる古代出雲大社の実像を探るうえでの決定的な発見となった。 町教委は4月に宇豆柱を見つけた調査区の北側を調査。地下約1.3メートルで人頭大の石が集中した遺構面が現れ、その下約30センチの2カ所から直径約1メートルの杉材を3本合わせた、同3メートル前後の巨大柱が出土した。大社造りの心御柱と南東角の側柱とみられ、南側中央の宇豆柱との位置関係から、古代本殿は間口13.4メートル、奥行き11.6メートルの東西に長い長方形と判明した。 柱の上面からは、杉材3本束ねたとみられる帯状金具(幅約7センチ)や、長さ40センチ以上の大型くぎなどの鉄製品が多数出土。杉材や鉄製品には赤い顔料が付着していた。柱の上面に焼け土があり、建物の廃絶後に火を使った祭祀をしていたことも分かった。ただ、構造などは金輪造営図とほぼ一致したが、柱材の配置など一部異なる点もあり、同教委は同図に描かれた本殿がさらに別の場所に存在する可能性も出てきたとしている。平安時代に本殿は数回建て替えられたとされる。 地下室建設に伴い、同教委が昨年九月から調査。今春宇豆柱が発見されたため追加調査していた。 現地は今月二十日ごろまで公開される。 | ||
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「心御柱」・・・(毎日新聞より) 柱9本を「田」の字形に配置した出雲地方独特の大社造りの中央にあり、神の「依代(よりしろ)」とされるもっとも神聖な柱。現在の出雲大社本殿では、他の8本より一回り太い。 「金輪造営図」・・・(日本経済新聞より) 出雲大社に伝わり、江戸時代の国学者・本居宣長の「玉勝間」に収録されたことから有名になった古図。平安時代初期の本殿を記したとされる。柱は9本あり、中央の柱がやや太く描かれている。本殿の高さは記されていないが、本殿に上る階段は「引橋長一町(約109メートル)」と記されている。三本の材を鉄製の輪で束ねて一本とする構造などが一致した。 | ||
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全ぼうが明らかに・・・上田正昭・京大名誉教授(歴史学)の話 本殿の中心に位置する心御柱の形態が分かり、大社造りの全ぼうが明らかになった。巨大神殿があったということが確信できる画期的な発見だ。 建築法知る手がかり・・・浅川滋男・奈良国立文化財研究所遺構調査室長の話 前回の発見では柱の大きさに驚いたが、今回は「金輪造営図」どおり予想された位置から予想されたものが出た、という感じ。心御柱の大きさも十分で、柱の組み方や建物の建て方を具体的にイメージできるようにあった。柱を取り上げる際に分かる柱穴の掘り方やその底から出てくる遺物も高層本殿の建築方法を知る手がかりになりそうだ。 | ||
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10/5 日本経済新聞より |
中枢部の建物、描写か |
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弥生時代を代表する環濠集落、奈良県田原本町の唐古・鍵遺跡を発掘調査している同町教育委員会は四日、今年初めに出土した建物を線刻した紀元前一世紀ごろの土器の破片が、八年前に見つかった楼閣(二階以上の重層の建物)を描いた同じ壷形土器(高さ推定50センチ)のものと判明したと発表した。 出土した土器片は寄せ棟づくり高床式の建物を表現したものと推定され、壷形土器に楼閣と並んで描かれたとみられることから、二つの建物は集落の中枢部に存在した可能性が高い。遺跡の性格などを知る上で貴重な資料という。 建物土器片は楼閣土器片の出土地点から北西約20メートル離れた大溝から見つかった。大きさは縦7センチ、横4.5センチ、厚さ1センチ。弥生時代中期後半(紀元前1世紀)ものとみられる。描かれているのは建物の下半分で、柱三本と屋根に当たる部分を格子状の模様で表現している。屋根は寄せ棟づくりで、渦巻き状の飾りが付いていたと推定。高床式とみられる。 1992年に出土した楼閣土器片(二片)と同じ土器に線刻されたと推定されるのは、色や形をはじめ土器の厚さ、湾曲の仕方などが同じと見られるためで、壷形土器の胴の中央付近の破片の可能性が高いという。 楼閣は中国で見てきたものを描いたと言う説が強かったが、普通のタイプの建物が楼閣と並んで表現されていると想定され、「楼閣は当初から集落に存在していた」との見方が出ている。 | ||
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宗教的な性格の建物・・・石野博信・徳島文理大教授の話 土器が見つかったのは、銅鐸などを鋳造した青銅器生産工房跡の隣接地。聖なる器具である青銅器を作る工房自体が聖なる空間で、描かれた建物も楼閣を中心とする宗教的な性格の建物群の一つだったのだろう。 | ||
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10/4 日本経済新聞より |
導水施設出土 |
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奈良県立橿原考古学研究所は三日、奈良市の「大柳生宮ノ前遺跡」から川から清めの水を採取したとみられる五世紀後半ころの導水施設が出土したと発表した。祭祀に使われる高さ二〜六センチの壺形のミニチュア土器が約百点、付近から見つかっているうえ、浄水施設を囲ったとみられる建物の柱跡なども確認されており、取り入れた水を「聖なる清らかな水」として使った祭祀場だったとみられる。 祭祀のための導水施設は全国で出土しているが、今回の施設はやや小ぶりな造りであることから、同研究所は「古代の大柳生の首長クラスが祭祀や稲作の行事などに使ったのだろう」とみており、「水の祭祀」が地方にも及んでいたことを示す発見という。 見つかった導水施設は、モミの木製の樋、水の流れをせき止める堰板、二本の取水溝で作られていた。 | ||
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9/21 日本経済新聞より |
大刀見つかる |
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滋賀県マキノ町の古墳時代後期(六世紀後半から七世紀前半)の北牧野古墳群で、円墳(直径14メートル)の横穴式石室から竜の頭をかたどった環頭を持つ大刀(たち)が見つかり、滋賀県教育委員会が20日発表した。朝鮮半島から輸入されたものを大和朝廷からもらったとみられ、被葬者を考える上で貴重な発見。 見つかったのは、全長約80センチの鉄の大刀。柄(つか)は木製で失われていたが、頭の部分は銅の鋳造。 | ||
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9/15 日本経済新聞より |
王、みそぎに使用 |
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大阪府八尾市の前方後円墳・心合寺山古墳(しおんじやまこふん、五世紀前半)で、建物と塀を水路が貫いた、水の祭祀(さいし)場を表す家形の埴輪が初めて出土、十四日、同市教育委員会が発表した。建物は祭殿とみられる。塀、水路とのセットは、古墳時代の王が水で身を清めるみそぎなどを行った祭祀場を表現したらしく、古代の精神世界を解明する資料として注目される。 同市教委によると、これまで塀だけの埴輪が全国で二十七例出土、なぞの埴輪とされていた。 埴輪は後円部と前方部の境にある造り出し部付近で出土した。塀は縦42センチ、横44センチ。建物は高さ24センチ。塀の隅にいり口が作られている。切り妻屋根で、入り口が一ヶ所あるが、上部の煙出し以外に窓はなく、塀と建物を貫いて水路が設けられている。 木樋(もくひ)などで導水路を設けた実物の水の祭祀場は近畿地方の古墳時代の遺跡を中心に見つかっており、出土した埴輪はこららの祭祀場を忠実に表現したとみられる。 埴輪は23日から10月9日まで、八尾市立歴史民俗資料館で展示される。 |
![]() 心合寺山古墳から出土した水の祭祀場を表す家形の埴輪 | |
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9/1 毎日新聞より |
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福井市花野谷町、宮地町にまたがる古墳時代前期(4世紀前半)の円墳「花野谷一号墳」の木棺から、中国の前漢時代の鏡「連弧文銘帯鏡(れんこもんめいたいきょう)」と「卑弥呼の鏡」といわれる三角縁神獣鏡が出土した。31日発表した同市教委によると、この前漢鏡は紀元前1世紀の製作で、摩耗状態などから弥生時代から受け継がれたとみられ、古墳時代になって畿内から三角縁神獣鏡を受け取った豪族が一緒に副葬したらしい。製作年代に約300年の差がある、これら2種類の鏡が同時に出土したのは全国で初めて。 花野谷一号墳は直径18メートル。墳丘部に長さ3.5〜3.6メートルの木棺2基が埋められ、鏡は、東側の木棺内の被葬者の胸にあたる位置に並んでいた。 連弧文銘帯鏡は青銅製で直径9.6センチ。摩耗して銘文は消え、中央の穴が壊れ、縁にひもをかけるための穴二つが開いていた。 | ||