古代史新聞 12月号


12/25
毎日新聞より
国内最古の「飾りさや」
弥生前期、銅剣収める

滋賀長浜・川崎遺跡

飾りさや 滋賀県長浜市教委は24日、弥生時代前期(約2300年前)の環濠集落跡・川崎遺跡(同市川崎町)から、短剣の「飾りさや」の一部が出土したと発表した。木製で、うるしの朱色が残り、雷文とよばれる中国の文様に似た装飾が施されていた。市教委によると「飾りさや」の国内最古例で、銅剣が収められていたとみており、近畿で弥生前期に銅剣が使われていたと推定できる初の史料となるという。
 銅剣は大陸から伝わり、九州・瀬戸内を経て、近畿に伝わったとされる。近畿での出土例は少ないが、これまでに弥生中期の銅剣の破片が見つかっている。森岡秀人・兵庫県芦屋市教委文化財課主査(日本考古学)は「近畿でも九州北部とほぼ同じ時期の銅剣の存在がはっきりしてきた。日本海沿いに、大陸文化が伝わってきた可能性もある」としている。
 96年2月の調査時に、弥生前期の貯木場跡から木片4個に分かれて出土した。その後の研究で、内側の幅は1センチ未満で、厚みのある石剣は入らないことや、内側に金属でこすったような跡があることなどから、銅剣のさやとみている。
 全体は長さ約30センチ、幅約15センチと推定。黒色のうるしの上に朱色のうるしが重ね塗りされており、市教委は「地域の指導者が権威を示す道具として使っていた」とみている。26日と来年1月3〜10日に長浜城歴史博物館で展示される。

石野博信・徳島文理大教授(考古学)の話・・・・
 精巧だが、初めての例だけに銅剣との関係は慎重に判断すべきだ。類例発見や銅成分検出で裏付けが進むことを期待したい。





古代史新聞 11月号


11/28
日本経済新聞より
最大規模の埴輪祭祀跡
「真の継体天皇陵」

大阪・今城塚古墳

 大阪府高槻市の国史跡、今城塚古墳(前方後円墳、6世紀前半)を調査中の同市教育委員会は28日、昨年見つかった形象埴輪を用いた祭祀跡の全容が判明し、長さ62メートル以上、幅5メートル以上と発表した。これまで見つかった埴輪祭祀跡では最大規模という。
 同古墳は研究者の間で真の継体天皇陵とする説が有力。昨年発見したものと合わせて113個に上る形象埴輪の多くが元の位置をとどめて出土しており、同市教委は「大王(当時の天皇)の葬送祭祀の実態がうかがえる」と話している。 祭祀跡が見つかったのは古墳を巡る堤の中央部。今回の調査で、堤の縁辺に沿って並ぶ円筒埴輪列や巫女などの人物埴輪、水鳥などの動物埴輪、家型埴輪など30点以上の形象埴輪を新たに発見するとともに祭祀跡の範囲も確認した。
 柵型埴輪を並べ、形象埴輪群を幅7―10メートルずつ5つに区画していたことも判明。同市教委は「区画ごとに家、巫女、動物などの埴輪を特徴的に配置してある。何かの場面を表現していたのでは」とみている。
 宮内庁は今城塚古墳の西約1.6キロにある太田茶臼山古墳(同茨木市)を継体天皇陵として管理しているが、多くの研究者は「別人の墓」とする説をとっている。
 一方、今城塚古墳では昨年調査で国内最大の家形埴輪や儀礼用の太刀を腰に差した武人の埴輪などが出土。真の継体天皇陵とする見方が強まっている。
 和田晴吾・立命館大教授の話・・・・
全国の古墳の規範となる大王陵で埴輪群の全容が判明したのは初めて。画期的な発見だ。埴輪群が何を意味するのか詳しく分析するためにも今後、石室などの調査が必要だろう。



11/19
日本経済新聞より
国内最古級か?
橿原考古学研「3世紀に築造」

奈良・マバカ古墳

 奈良県天理市のマバカ古墳(前方後円墳)を調査中の同県立橿原考古学研究所は18日、出土した土器などから同古墳は3世紀に築造され、卑弥呼の墓との説がある前方後円墳、箸墓(はしはか)古墳(桜井市、3世紀後半)より古い最古級の古墳の一つである可能性が高いと発表した。
 マバカ古墳は全長74メートル。前期古墳(3-4世紀)が集中する大和(おおやまと)古墳群の一つ。近隣には同時期とみられるヒエ塚古墳(前方後円墳)があり、橿考研は「この古墳群が古墳の形成過程の研究上、重要な資料と分かった」としている。
 同古墳の前方部周辺を発掘し、幅13-14メートルの周濠を発見。内部から、古墳の最古級の時期とみられる土器が出土した。
 墳丘や周濠の規模、形も、最古の古墳との見方がでている纏向(まきむく)古墳群(桜井市)の前方後円墳、石塚古墳や勝山古墳と似ていることが判明。橿考研は「三つの古墳は同時期」とみている。
 石塚、勝山両古墳では、出土した木片を年輪年代測定したところ三世紀初めに伐採されたという結論が出て、築造年代を巡る議論が起きている。
 別のグループと邪馬台国構成か・・・置田雅昭・天理大教授(考古学)の話
マバカ古墳は纏向石塚古墳などと同時期の三世紀初頭に築造されたと判断していいのではないか。三世紀初頭の奈良盆地には、「邪馬台国の首都」説のある地域の纏向古墳群と、マバカ古墳のある大和古墳群の二グループが併存し、共同して邪馬台国を全国的な政権に発展させたことを暗示する発見だ。