第一幕 一日目午前
「さあ、みなさん。部屋に荷物を置いてコーヒーでも飲みましょう」
玄関ホールからリビングへ入って、敬子が言った。
男たちはぐるりとリビングを見回してから、部屋割りされた研究者用の部屋がある奥の廊下へ向かった。
各部屋には、ドアの所にプレートが張り付けられている。
敬子の部屋には『邪馬台国』、矢島が『狗奴国』、御子柴は『末廬国』そして斉藤が『投馬国』である。
これはもちろん各部屋の名前で、邪馬台国について書かれた中国の史書、三国志の中の『魏志倭人伝』に出てくる国々の名前をあてたものであった。
個室の空き部屋は『対馬国』と『一支国』、会議室は『伊都国』、資料室が『奴国』である。
「なんだ、私は狗奴国ですか。これじゃ、敬子さんと仲良くできないなあ」
自分の部屋のプレートを見て矢島が言った。
「男王素より女王と和せず・・・ですか」
斉藤が笑いながら声をかけた。
邪馬台国の女王卑弥呼と、狗奴国の男王卑弥弓呼が敵対していたと魏志倭人伝は記している。
「狗奴国ならいいじゃないですか。ぼくは末廬国ですよ。倭人伝の記述では九州本土の玄関なのに、伊都国や奴国の方が立派な感じがしますもんね」
御子柴は自分が『末廬国』に割り振られたことに不満らしい。
魏志倭人伝の記述では、邪馬台国へ行くのに、朝鮮半島の南端にあったとされる狗邪韓国から対馬国、一支国を経由して九州本土である末廬国、今の松浦半島辺りに上陸したとされている。対馬国はもちろん今の対馬、一支国は壱岐である。末廬国の次は伊都国で、ここは使者が常駐するところであり、一大率とよばれる役所か役人が卑弥呼の命により置かれている重要な役割を占める国である。その東の奴国も2万余戸を誇る大国であるとしている。
「それなら会議室の伊都国ででも寝たらどうだ」
矢島にからかわれて、御子柴は苦笑いした。
リビングの壁には30枚もの丸い鏡が並んでいるのだが、おどろいたことに各部屋の壁にも10枚づつ掛けられている。
よく見るとこれは古代の鏡、銅鏡で、多くは鏡の面が向いていて顔を映すのだが、いくつかは鏡面ではなく複雑かつ幾何的な文様を施した面が向けられていた。
もちろんほとんどがレプリカだが、各部屋にひとつづつ、リビングには三つの本物が含まれている。
「これは三角縁神獣鏡ですね。どちらで手に入れたのですか」
自分の部屋から出て、リビングにある鏡のうち、その鈍い輝きから本物とわかる鏡の前まで来て、斉藤が敬子に訊いた。
「それは父がある研究者から譲ってもらったものです。たしか巻向かどこかだと」
「そういえば天田先生の父上は邪馬台国畿内説でしたよね」
今度は次に部屋から出てきた御子柴が訊いた。
「そうですよ。敬子さんはその反動か知らないが、九州説、それも南の島説」
敬子に替わって、一番後に出てきた矢島が答えた。
邪馬台国の所在地については、大きく分けて畿内説と九州説があり、巻向は畿内説でも有力な遺跡群である。
畿内説が、主に奈良県南東部のいわゆる大和地方を中心にしているのに対して、九州説は北部九州から沖縄まで各地に比定地がある。また、その形・文様から『三角縁神獣鏡』と呼ばれる銅鏡は、邪馬台国の女王卑弥呼が魏から下賜されたといわれるものだ。
男3人が丸いテーブルにつくと、敬子は自慢のコーヒーをサーブするためにキッチンから戻ってきた。
「それではあらためて自己紹介しましょう」
矢島は席を立つと、ひときわ大きな声で話し始めた。
不思議なことに、いまさら自己紹介もないだろうという顔をするものは一人もいなかった。
「矢島浩志、慶明大で考古学の講座を持っております。敬子さん、いや天田先生とは大学時代からの同志で、昔はいろいろとありましたが、まあ、それはそれとして、今回この研究会にお招きいただき大変感謝しております」
意味ありげな矢島の挨拶に敬子は何の反応も見せない。
「えー、御子柴二郎です。名前からわかるように次男です。実家は東京三田でラーメン屋をやっているんですが、兄が家を継ぐのを嫌がっておりまして、これまでは私は自由に研究をしてきたのですが、実は父が・・・」
「その話長くなるんでしょうか」
隣の斉藤が長身の御子柴を見上げながら言った。
「ああ、すいません、つい・・・で、えー、今は京都稜山大学で講師をしています。断然、畿内派です。以上」
前半と違って歯切れのいい終わり方に笑いが起きた。
「斉藤芳夫、50歳、独身です。東京の出身ですが、大学も現在の研究所も福岡です。まあ、研究所といいましても全く個人的な、小さなものですが、とにかく今回は成果を上げて帰りたいと願っております。御子柴君とは犬猿の九州派です」
犬か猿にされた御子柴はなぜかにこにこしている。
「慶明女子大の天田敬子です。今回の研究会には九州説の斉藤先生、矢島先生そして畿内説の御子柴先生とそれぞれ違った考えをお持ちの方々に参加していただきました。幸いこの島は私個人の所有で、何ら外部から干渉を受けることなく集中できますし、遺跡の調査でそれなりの成果が上がるものと考えています。それで、はじめにみなさんにお断りしておきますが、研究の内容については外部には漏らさないようにお願いします。当分の間。あっ、それとみなさん私のことを”あまだ”とおっしゃいますが、”あまた”と濁りませんのでお間違いのないように」
よく知っているはずの矢島までが名前を間違えるのをうっとうしく思ったのか、最後に付け加えた。
「外に漏らさないという言い方はちょっと意味深ですが、それは天田先生が研究発表されるまでということですか」
名前に気を付けながら、斉藤が代表するかたちで訊いた。
「そうです。ここの研究についてはそうしてください」
「つまり僕たちとの研究の成果を一人占めしようってのかい」
矢島がコーヒーカップを大きな音を立ててソーサーに置きながら言った。
「勘違いされては困りますが、ここは私の島です。私の遺跡です。すでに発掘も進んでいますし、今回はみなさんの交通費から滞在費まで、すべてこちら持ちですから、その辺はご理解いただきたいと思います」
しばらく沈黙が続いた。
特に敬子の性格を知っている矢島は、憎々しげな表情でコーヒーに口をつけた。
「ところで邪馬台国の痕跡がこの島にあるというのは本当ですか?」
御子柴が沈黙に耐えきれずに訊いた。
「ええ、もちろん。島の南東部の海岸に、『鬼姫の祠跡』があるのです」
「その鬼姫というのが卑弥呼ではないかと・・・」
今度は斉藤が訊く。
「鬼姫の伝説は父が喜界島の長老から聞いた話なのですが、それによると、古代『鬼姫』と呼ばれる呪術使いがいて、付近の島々を治めていたと言います」
倭人伝では、卑弥呼は「鬼道に事(つか)えて能(よ)く衆を惑わす」とし、宗教的な支配を行っていたと思われる。
「でも、この辺には不可思議島しかないのでは」
御子柴が質問した。
「それが、弥生の後期ころまでこの辺は今よりもかなり隆起していたようです。江戸時代の書物にも、この島の他にいくつかの島が顔を出していたという記録が残っていますし、5,6年前には調査が行われて、人工物としか思えない石造りの祭祀遺跡のようなものが海中に見つかっています。もっとも、民間の調査だけで、眉唾だという話もありましたが」
「知っていますよ。当時の新聞にも出ていましたからね。でも、それがこのあたりのことだったのかは記憶に不確かですが」
斉藤がひげをさすりながら、宙に視線を向けたままで言った。
「ただその後は特に調査もなく、今は忘れられた存在と言うところでしょう。この島の遺跡のご案内は明日の朝にします。今日の午後はみなさんの邪馬台国に関するご意見を伺って親睦を深めたいと思います。昼食までの時間は各自の部屋でその準備ということにしましょう」
敬子がこの場を締めくくるように言うと、それを待っていたかのように御子柴が立ち上がった。
「えー、みなさん。お昼は私の特製ラーメンですからね。矢島さんも腹が膨れればイライラすることもなくなりますよ」
隣に座る矢島の貧乏ゆすりが止まった。
「そりゃあ楽しみだ。不味かったら承知しないからな」
このやりとりで少々険悪だったムードが和らいだ。
「敬子のやつ、ちっとも変わってないな」
『狗奴国』に入ると矢島はひとりごちた。
「俺と別れてからもう十年か。それにしても未だに独り身とは」
矢島は壁に掛かった鏡をひとつずつ見て回った。
こちら側に鏡面が向けられている鏡は、壁に掛かっているのではなく、動かないようにはめられているようだ。
ほかに文様の施された面が向けられた鏡は全部で三枚ある。一枚は方格規矩四神鏡と呼ばれる物で、京都で発掘された鏡のレプリカだ。次は三角縁獣紋帯三神三獣鏡で、こちらは宮崎県西都原のレプリカ。最後に神獣車馬画象鏡で、これは奈良の古墳で見つかった本物であると説明が下に書かれている。
敬子はおそらく、このような鏡も父親から譲り受けたに違いない。『狗奴国』とは直接関係なさそうなところの出土品なのが、いささか間が抜けていると矢島は思った。
研究者用の部屋の造りはどれも同じで、どの部屋にも同じような鏡が掛かっている。
矢島は部屋の一番奥に据え付けられた大きめのベッドに身を横たえると、旅の疲れからかウトウトし始めた。
『投馬国』の斉藤は、机に背を向けて椅子にもたれていた。
「女のくせに、こんな研究所まで建てやがって」
自分の境遇と敬子のそれとを比較してか、リビングでの紳士的な態度からは想像できないような言葉を吐いた。
「この鏡にしたって蒐集家に売ればかなりの額になるだろう」
斉藤は壁に掛かった鏡を見回した。
「それと資料室にもお宝があるだろうし、何とかしてこれらを手に入れる方法はないものか?」
よからぬ考えを口にすると、斉藤は椅子から立ち上がって部屋の中をぐるぐる回り始めた。
敬子は『邪馬台国』で、ある書類に目を通していた。それは今回の研究会の参加者にお願いしていたアンケートと、それとは別に興信所に調査してもらった彼らの身上調査書であった。
「いくら父の遺言とはいえ、この中から見合いの相手を選ぶのはちょっと考えた方がいいかも知れないわねえ」
アンケートには古代史に関することのほか、個人的なプロフィールまで記入されていた。
「えーっと、斉藤さんはちょっと暗いところがあるわね。それに職業も転々としてるし。学習教材のセールスマンに漁師、居酒屋にトラック運転手・・・あの歳まで独りでいたのには、何かわけありかも知れないし」
敬子は自分ことを棚に上げて言った。
「矢島さんは論外ね。今さら昔の彼氏とよりを戻すこともないわ。私の資産を狙っているのも見え見えだったし、かといって御子柴さんはちょっと頼りないわね。若いということもあるけど、どことなく大人になり切れていないみたい。それに何か家庭の事情も複雑のような」
敬子は、自己紹介での御子柴の言葉を思い返していた。
「お父さん、どういう基準でこの人たちをリストアップしたのかしら」
子供扱いされた御子柴は自分に割り当てられた『伊都国』にはいなかった。
彼はラーメンを作るべくキッチンにいたのである。
「えーと、まずはスープだな」
御子柴はなれない厨房に苦戦しながら、豚骨と鶏ガラ、それに小魚の煮干し、野菜など、スープのだしとなる材料を大きな鍋で煮始めた。次にチャーシュー、これは麺やシナチクとともに実家のラーメン屋から持ってきた物で、たれにつけ込んであった物をオーブンで焼いた。麺は父親の手打ちで、細いちぢれ麺だ。
なぜか御子柴は、作り方を声に出して説明しながらラーメンを作り続けた。それはまるで、テレビの料理番組のようでもあった。
ちょうど12時に昼食の準備は整った。
御子柴が各部屋をノックしてそれを知らせた。
「おー、いい匂いだな」
矢島は居眠りをしていたと見えて、目をこすりながら最後に部屋から出てきた。
斉藤と敬子はすでにテーブルについている。
「では、私、御子柴二郎の特製ラーメンをご賞味ください」
御子柴はマジシャンのように大げさに手を広げた。
