高地性集落


主に弥生時代に高台に設けられた集落を高地性集落と呼ぶ。
高地性集落は低地を見下ろし、また、近辺の高地性集落の見える位置に作られていることが多い。
したがって、眼下の情勢を見張るだけでなく、連絡にも便利なようにできている。
高地性集落にはその最高地点に焼け土の跡が発見されているが、これはノロシ台であると考えられている。
瀬戸内海沿岸地域の高地性集落を使って北九州から大阪平野までノロシを使った実験をした結果、わずか数時間で伝達できることが判明した。
このように、高地性集落は情報伝達基地のような役目を担っていたものと思われている。
場所によっては集落内に炉と思われるようなものが確認でき、中で武器の製造を行っていたとも考えられている。
また高地性集落は機能的には、防衛主体の集落農耕主体の集落、さらにそれぞれを複合的に組み合わせた集落に区別できる。
下の分布図は、主に防衛的機能の高地性集落の分布変化である。

 防衛的高地性集落の変遷は倭国の軍事的緊張との関連で興味深い。
弥生中期にあたる第V期から防衛的な高地性集落が多くなるり、第W期においては北九州を起源地とする中細形銅剣と銅戈、次の時代の平形銅剣や銅戈の分布地域(銅剣・銅戈・銅矛参照)と不可分な関係にあること、さらに第X期においては前後二回その出現期があるが、周防から安芸にかけての地域と、大阪湾岸から紀伊水道の東岸にかけての地に多く出現しており、動乱の発生地域が瀬戸内から畿内を経て紀伊水道の東岸の地域に局限されていたことをあらわしている。
特に、周防から安芸にかけては、私の説で女王国の東にある倭種の国々であり、この時期に何らかの争いがこの地域で展開されていたと言えよう。
研究者によっては、この第X期の前半の出現期を3世紀中葉の狗奴国との争乱卑弥呼没後の男王時代の内乱にあて、第X期終末期の出現を3世紀末のいわゆる欠史時代に比定するものや、前半の出現期を2世紀後半に位置づけて倭国大乱とし、終末の出現期が3世紀前半の狗奴国の乱に比定しようとするものがある。
 私としては、狗奴国は球磨地方から熊本付近にあったとする立場から、前半の出現期を卑弥呼没後の瀬戸内海の覇権を争う東西勢力の争乱とし、終末期においては畿内大和国の勢力拡大によるものと考える。


<広義の弥生系高地性集落の出現期とその分布地域>
文化小期
高地出現期
分 布 地 域
縄文晩期
第1期
北西部九州に高原性集落出現







第T期
第2期
瀬戸内北岸に高地性集落出現
第U期

第V期
第3期
北部九州から瀬戸内に高地性集落出現
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九州、山陽、四国、畿内、州部、関東地方にかけて
高山性、高原性、高地性集落出現、特に瀬戸内に密度が高い
第W期
第4期
中部・東部瀬戸内、四国、畿内、紀伊水道東岸にわたる
畿内系土器の分布圏に分布
第X期
第5期
中部瀬戸内から畿内にかけての地域と紀伊水道の東岸に分布
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九州、山陽、四国、畿内、中部、関東、東北地方に出現
第3期に似た分布を示す
古墳前期

古墳中期
古墳後期


第6期
西日本にごくまばらに分布
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南部九州に出現


<第V期〜第X期の防衛的高地性集落分布図>