卑弥呼の鏡について


魏志倭人伝では
卑弥呼は魏から銅鏡を百枚下賜されたと記述している。
はたしてその鏡とはどのようなものであったのか?

鏡は邪馬台国から地方の豪族に配布されたということや
移動がともなうものである点など
発見された場所がすなわち邪馬台国とは限らないとも言える。

卑弥呼の鏡について、九州説・畿内説では大きく見解が異なる。


    三角縁神獣鏡は・・・



卑弥呼の鏡ではない
方格規矩神獣鏡などを重視

数が多すぎる(500枚以上の出土)

中国では出土例がなく、国産の可能性が高い

呉の工人が日本で作った(呉鏡説)
(九州説に直接結びつくものではない)



卑弥呼の鏡である

卑弥呼が魏に使いを送った
景初3年や正始元年の銘がある
(景初4年という存在しない年号もあるが)

数が多いのは、数度にわたる朝見のため
(239〜266年で6〜7回以上)

中国で出土しないのは
特注品だからである(特鋳説)


三角縁三神五獣鏡
(京都府大塚山古墳)
変型神獣鏡
(福岡県大塚古墳)
方格規矩四神鏡
(佐賀県桜馬場遺跡)
三角縁神獣鏡
変型神獣鏡
方格規矩四神鏡


<呉鏡説>
 呉の工人が日本に渡来してきて、鏡を畿内で作ったという説。
 これは三角縁神獣鏡が、
 呉鏡である平縁神獣鏡と三角縁画像鏡の特徴を併せ持っていることから、
 中国社会科学院考古研究所所長の 王 仲殊氏によって提唱され、注目された。
 しかし、この当時に呉と畿内との交流がどれほどのものであったかが疑問である。
 また、これによって邪馬台国が畿内にあったことが、かえって補強されるということもある。

<特鋳説>
 中国で三角縁神獣鏡が出土していないことから、
 魏が卑弥呼のために(日本向けに)、特別に作らせたという説。
 中国では、古くから外国向けの商業が発達していたということがいわれている。



邪馬台国比定の物証としては鏡の他に
卑弥呼の墓、親魏倭王の金印や銀印、当時の地図
などがあり
これらの発見が待たれるところである