方位の問題について
魏志倭人伝ではいくつか方位の記述が見える。
順番に従ってそれらを抜粋して箇条書きし(現代語訳)
下段に私見に則して解説を述べる。(青色)
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1. |
倭人は、帯方郡の東南の大海の中にあり 図1より明らか・・・ 大和の方向はほぼ東南東にあたる。 |
<図1>帯方郡〜狗邪韓国〜伊都国〜邪馬壹国〜阿蘇〜投馬国を結ぶ 黄金ラインの存在は偶然か? ![]() <図2> ![]() <図3>拡大図 ![]() <図4> ![]() <参考> 狗邪韓国から邪馬壹国、投馬国へのルート ![]() |
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2. |
帯方郡より倭に行くには、 朝鮮半島の西海岸に沿って水行し、 韓の国々を経て、あるいは南へ、 あるいは東へと進み(狗邪韓国) 図1より明らか・・・ 陸行を含めるか否かが問題であるが 方位としてはほぼ東南になる。 | |
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3. |
倭の北岸にある狗邪韓国に到着する。 図1より明らか・・・ 後漢書では「倭の西北界」としている。 | |
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4. |
船にのり南や北と交易して暮らしている。 (対海国) 図1より明らか | |
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5. |
そこからまた南に一海を渡ること千余里で 一大国(一支国)に到着する。 図2より・・・ 正確には東南である。 ほぼ北へ30°のずれがある。 南という方位を「南の方」と考えた場合 許容範囲をどの程度見るかによって 解釈が変わるが±45°とする場合は 範囲内になる。 | |
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6. |
やはり南や北と交易して暮らしている。 (一大国) 上記4に同じ | |
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7. |
そこから東南に陸行すること五百里で、 伊都国に到着する。 図3より・・・ 一大国から末廬国への 方位の記述がないため 伊都国への起点となる末廬国が 確定できないが、通説によれば、 呼子や唐津が比定されている。 呼子から伊都国があったとされる 平原・三雲はほぼ東、 唐津からは東北東にあたる。 いずれも出発直後は 東南に進むということも言えるが 唐津を比定した場合、 許容範囲より約 15°北へずれる。 対海国から一大国へのずれ30°を 基準にすると更に北へ30°ずれる。 | |
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8. |
これから先は、 東南、奴国に至るのに百里。 図3より・・・ 奴国を須玖あたりに比定した場合は ほぼ東となり許容範囲内になる。 奴国の中心が 海岸沿いにあったとすると 東北東になり 許容範囲より約22.5°北へずれる。 これは末廬国から伊都国への ずれを基準にすると ほぼ東南ということになる。 | |
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9. |
さらに東に行って、 不弥国に至るのに百里。 図3より・・・ これも不弥国がどこかは決まっていない。 有力な宇美町や穂波町とするとほぼ東。 海岸沿いに津屋崎方面とすると 北北東から北となり 許容範囲より 約25°〜45°北へずれる。 これは奴国海岸部までのずれを 基準にするとほぼ東にあたる。 | |
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10. |
南、投馬国に至るのに水行二十日。 図1.2より・・・ 投馬国を宮崎県西都原付近とすると 帯方郡または狗邪韓国からほぼ東南。 南に約15°程度近い。 私はその起点を狗邪韓国とするが、 いずれも許容範囲。 | |
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11. |
また南、邪馬壹国に至るのに 水行十日・陸行一月。 図1.2より・・・ 邪馬壹国を八女地方付近とすると 帯方郡または狗邪韓国からほぼ東南。 南に約15°程度近い。 私はその起点を狗邪韓国とするが、 いずれも許容範囲。 畿内にあったとすると 帯方郡からは東南東で 狗邪韓国からはほぼ東になる。 明らかに許容範囲外である。 | |
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12. |
女王国より北の諸国は、 その戸数と道里をほぼ記載できるが、 その他の周辺の国は、 遠くへだたり詳しく知りえない。 図1より・・・ 私は女王国を 邪馬壹国と斯馬国以下の 20ヶ国(奴国重出除く)とする。 この場合、投馬国の所在が問題となるが、 不弥国までが 戸数と方位、里数を記述しているのに対し 投馬国については 戸数と方位、所要日数しか記述がなく、 里数は不明である。 この点を持って 投馬国が女王国の北にあったとは 断定できないということを述べたい。 | |
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13. |
その南にあるのが狗奴国で、男子を王とし、 長官に狗古制(智)卑狗がいる。 図2より・・・ 『その』とは女王国を示す。 邪馬壹国と接していたことを あらわしてはいない。 | |
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14. |
帯方郡からの道里を計算すると、 倭は会稽郡や東冶縣の東に あることになろう。 図4より・・・ 会稽郡や東冶縣は 現在の福建省福州付近に比定される。 そこからみて 狗邪韓国から九州南部までは 北東から東北東にあたり、 東の許容範囲をみれば適合する。 さらに女王国まで12000余里を 南に直線距離で見ると ほぼ東(北へ10°ほど)になる。 | |
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15. |
女王国より北には、 とくに一大率をおいて 諸国を検察させている。 図1より・・・ 女王国より北とは、 北九州沿岸地域のことである。 邪馬壹国を中心とする女王国・山地方は 沿岸国に対して一大率を置いて 検察していたとみることもできる。 | |
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16. |
女王国の東、海を渡ること千余里で、 また国々があり、 これらもすべて倭種の国である。 図1.2より・・・ 本州または四国とみる。 千余里は伝聞によるもので 実測距離ではないだろう。 | |
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17. |
また侏儒国はその南にあり、 人々の身長は三、四尺で、 女王国を四千余里離れている。 図2より・・・ 四国南西部を比定する。 四千余里は伝聞によるもので 実測距離ではないだろう。 また、侏儒国はコロボックルを想像させる。 | |
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18. |
また裸国・黒歯国はその東南にあり、 舟行一年で到着できるという どこかは全く不明。伝聞によるもの。 |