魏志倭人伝の概略(行程と国々の概要)



1.行程・比定地・戸数
No.

国名

方角

距離

方法
比定地

戸数

0

帯方郡




ソウル付近


1

狗邪韓国

南・東

7千余里

水行

金海付近


2

対馬国


千余里

渡海

対馬

千余戸

3

一大国


千余里

渡海

壱岐

3千許家

4

末廬国


千余里

渡海

松浦唐津付近

4千余戸

5

伊都国

東南

5百里

陸行

前原付近

千余戸

6

奴国

東南

百里


博多付近

2万余戸

7

不弥国


百里


宗像-宇美?

千余戸

8

投馬国


1から20日

水行

日向都万

5万余戸

9

邪馬壹国


0から1万2千余里
1から10日/1月

水行/
陸行

筑後川-八女

7万余戸

10

狗奴国

9の南



球磨→熊本


11

9の東の国々
9の東


渡海

中国西部


12

侏儒国

11の南

9から4千余里


四国


13/14

裸国/黒歯国

12の東南
12から1年

船行

太平洋上の島?




ピンクの行程は連続している。
水色の行程は不連続。(日数は狗邪韓国から)
伊都国以下は伝聞による。
11 は女王国の東(邪馬壹国から直接海を渡るのではなく、女王国から見て東に海を渡る)
11の国を四国に比定する説が多いが、八女から松山あたりまで直線距離でも220キロほどあり
誤差を考えると、女王国から4千余里とする12の国の記述にもあてはまる。


2.官名の比較
No.

国名


大官・長官

次官以下

備考

1

狗邪韓国




倭の北岸
2

対馬国


卑狗
(ヒク)
卑奴母離
(ヒナモリ)
4百里平方・良田なし
海産物・交易
3

一大国


卑狗
卑奴母離
3百里平方
やや田地あり・交易
4

末廬国




山裾に沿って居住
潜水漁
5

伊都国


爾支
(ニキ)
泄謨觚・柄渠觚
(セモコ・ヘキョコ)
一大率(検察官)・使者常駐
代々の王、女王国に服属

6

奴国


馬觚
(シマコ)
卑奴母離

7

不弥国


多模(タモ)
卑奴母離

8

投馬国


弥弥(ミミ)
弥弥那利
(ミミナリ)

9

邪馬壹国

卑弥呼
(ヒミコ)

伊支馬
(イキマ)
弥馬升(ミマショウ)
弥馬獲支・奴佳
(ミマカキ・ナカテ)
女王の都するところ


大夫 難升米  次使 都市牛利
 (ナショウマイ)  (トシギュウリ)
大夫 伊声耆  掖邪狗
 (イセイキ)   (エキヤク)
載斯烏越
(サイシウエツ)
10

狗奴国

卑弥弓呼
(ヒミクコ)

狗古制卑狗
(クコセヒク)

男王、女王国に服属せず


官名の読みは一般的なものを採用。
一部固有名詞で表記できない漢字は
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テキストのフォントサイズと合わない場合はご了承下さい。
魏志倭人伝原文・訳文で確認下さい。
上古音・中古音による読みは
言語館をご参照下さい
ピンクの国は海文化圏。
末廬国は伊都国への経由・補給地。
伊都国は外交上重要な拠点。

卑狗は彦、卑奴母離は夷守、弥弥は耳か?
卑弥弓呼は卑弓弥呼(彦尊)か?
載斯烏越は祭司烏越か?


3.略年表
西暦

出来事

A.D 57

倭奴国王、後漢に朝貢。光武帝より金印を賜る。
107

倭国王師升ら、生口160人を後漢の安帝に献じ請見を求める。

倭国大乱
この後、邪馬台国連合成立。
238
(239)

卑弥呼、魏の明帝に朝貢。魏王、卑弥呼を親魏倭王とし、金印紫綬
銅鏡百枚などを下賜する。
240〜
245

倭王からの朝貢、魏帝からの賜物が行き来する。
少帝、黄色の軍旗を倭王に与えることにし、帯方郡に託す。
247

邪馬壹国、狗奴国と交戦。卑弥呼、魏に援助を求める。
帯方郡太守、張政に詔書・黄色の軍旗をもって行かせ、檄文を授ける。
? 248

卑弥呼死去。
径百余歩・殉葬の奴婢百余人の墳墓を造る。

男王立つ→国中服せず→殺し合い→卑弥呼の宗女、13歳の壹与が即位。
266

倭の女王の使者、西晋に入貢。

邪馬壹国消滅?


A.D238は景初2年(他の『倭国伝』では景初3年としている)
卑弥呼の死亡年は日食のあった247・248年とする説が有力。
天照大神の話や、卑弥呼が日の巫女であったとする説に関連して興味深い。
『北史』には「正始中(240〜248)卑弥呼死す」とある。