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倭では、男子は成人も子供も皆顔や体に入墨をしている。 昔から倭の使が中国に来るとき、皆大夫と称する。 夏王朝の六代の王少康の子が、会稽(カイケイ)郡に封ぜられたとき、断髪して入墨し 海中にひそむ龍の害を避けたという。 今、倭の水人は海中に潜って魚や蛤を捕らえ、体に入墨して大魚や水鳥から身を守ってきたが、後にはやや飾りとなった。 倭の諸国の体の入墨は、国々によって左右や大小などにちがいがあり、身分の尊卑によっても異なる。 |
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帯方郡からの道里を計算すると、倭は会稽郡や東冶(トウヤ)縣の東にあることになろう。 |

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倭の風俗は折り目正しくきちんとしており、男子はみな冠をかぶらず、木綿の布で頭をまき、衣は幅広い布をただ結び束ねるだけで、縫うことはない。 婦人はお下げや髷を結ったりして、衣は単衣のようにし、真中に穴をあけて頭を通して着るだけである。 人々は稲・麻をうえ、桑・蚕で紡績し、布・絹・真綿などを産出する。 その他に、牛・馬・虎・豹・羊・鵲(カササギ)はいない。 兵器には、矛・楯・木弓を用い、木弓は下を短く、上を長くし、竹の矢には、鐵鏃(テツゾク)や骨鏃を用いる。 要するに、これらの産物や風俗などをみると、 耳(タンジ)・朱崖(シュガイ)と同じである。 |

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倭の地は暖かく、冬も夏も生野菜を食べる。 人々ははだしで生活し、家をたてるが、父母兄弟はそれぞれに居所を異にしている。 朱・丹を体に塗るのは、中国で白粉を用いるようなものだ。 飲食には高坏を用い、手づかみで食べる。 死ぬと棺に納めるが、槨(棺を覆う施設)は作らず、土を盛り上げて冢(チョウ)をつくる。 死んだとき、さしあたって十余日は喪に服し、その間は肉を食べず、喪主は声をあげて泣き、他人はその周りで歌舞・飲食する。 埋葬すると、一家をあげて、水中でみそぎをし、中国で一周忌に練絹(ネリギヌ)を着て沐浴するのとおなじようにする。 |
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倭人が海を渡って中国に来るには、つねに一人は頭をくしけずらず、しらみも取らせず、衣服は汚れたままとし、肉を食べず、婦人を近づけず、あたかも喪に服してい人のようにさせて、これを持衰(ジサイ)と名づける。 もし、航海が無事にゆけば、彼に生口(セイコウ)・財物を与え、もし船内に病人が出たり、暴風雨に会ったりすれば、これを殺そうとする。 つまり持衰が禁忌を怠ったからだというのである。 |

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倭の地には、真珠・青玉を産する。 山には丹が出る。 樹木としては、たん(クス)・じょ(トチ)・くすのき・ぼう(ボケ)・れき(クヌギ)・とう(スギ)・きょう(カシ)・うごう(ヤマグワ)・ふうこう(カエデ)があり、竹には、しょう(ササ)・かん(ヤタケ)・とうき(カヅラダケ)があり、また、きょう(ショウガ)・きつ(タチバナ)・しょう(サンショウ)・じょうか(ミョウガ)もあるが、滋味ある食物として利用することは知らない。 また、びこう(オオザル)・きじ もいる。 |
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その通俗の行事や旅行にさいして、何かしようとすれば、骨を灼いて吉凶を占い、まず占うところを告げ、その解釈は中国の亀ト(キボク)の法のように、火で焼けたひびわれをみて兆しを占うのである。 |

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その集会や居住の坐位には、父子男女の区別はなく、人々は生来酒が好きである。 支配身分の人に尊敬を示す作法は、ただ拍手をして、中国の跪拝(キハイ=ひざまずき拝する)の礼にあてているようだ。 人の寿命は、あるいは百年、あるいは八十〜九十年で、支配身分の者はみな四、五人の妻をもち、一般の村民でも二、三人の妻をもっている。 婦人は淫らでなく、嫉妬もしないし、盗みもなく、争いごとも少ない。 法を犯せば、軽いものは妻子を没官され、重いものは家族と一族が殺される。 身分の差別は守られ、秩序はよく守られ、租税、賦役を収め、そのための建物がたてられ、国々には物資を交易する市があり、大倭(倭人中の大人)に命じて、これを監督させている。・・・次ページへ続く |