三国志 魏書 東夷伝 倭人条   
(魏志倭人伝)



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くわしくは
倭人伝(行程と国々の概要
旁国21カ国の比定地を参照ください。


魏志倭人伝1
 倭人(ワジン)は、帯方郡(タイホウグン)の東南の大海の中にあり、山や島によって国をなしている。
もと百余国に分かれていて、漢の時代に朝見してくるものがあり、現在では、魏またはその出先の帯方郡と使訳の通じるのは三十国である。
 帯方郡より倭に行くには、朝鮮半島の西海岸に沿って水行し、韓の国々を経て、あるいは南へ、あるいは東へと進み、倭の北岸にある狗邪韓国(クヤカンコク)に到着する。
これまでが七千余里である。
 そこから、はじめて一海を渡ること千余里で、対海国(対馬国)に到着する。
その国の大官を卑狗(ヒク)、次官を卑奴母離(ヒナモリ)という。
居るところは絶島で、広さ四百余里平方ばかり、山は険しく、深林が多く、道路は獣のふみわけ道のようである。
千余戸があり、良田はなく、住民は海産物を食べて自活し、船にのり南や北と交易して暮らしている。





魏志倭人伝2
 そこからまた南に一海を渡ること千余里で一大国(一支国)に到着する。
この海は瀚海(カンカイ)と名づけられる。
この国の大官もまた卑狗、次官は卑奴母離という。
広さ三百里平方ばかり、竹林・叢林が多く、三千ばかりの家がある。
ここはやや田地があるが、水田を耕したても食料には足らず、やはり南や北と交易して暮らしている。
 また一海を渡ること千余里で、末廬国に到着する。
四千余戸があり、山裾や海浜にそうて住んでいる。
草木が繁り、道を行くのに前の人は見えないくらいである。
人々は魚やあわびを捕らえるのが得意で、海中に深浅となく潜り、これらを取って業としている。
 そこから東南に陸行すること五百里で、伊都国に到着する。
長官を爾支(ニキ)、次官を泄謨觚(セモコ)・柄渠觚(ヘキョコ)という。
千余戸がある。
代々王がいたが、かれらは皆、女王国に服属しており、帯方郡からの使者が倭と往来するとき、つねに駐るところである。





魏志倭人伝3
 これから先は、東南、奴国に至るのに百里。
長官を シ馬觚(シマコ)、次官を卑奴母離という。
二万余戸がある。
 さらに東に行って、不弥国に至るのに百里。
長官を多模(タモ)、次官を卑奴母離という。
千余家がある。
 南、投馬国に至るのに水行二十日。
長官を弥弥(ミミ)、次官を弥弥那利(ミミナリ)という。
五万余戸ばかりがある。
 また南、邪馬壹国に至るのに水行十日・陸行一月。
ここが女王の都するところで、長官を伊支馬(イキマ)、次官以下を
弥馬升(ミマショウ)・弥馬獲支(ミマカキ)・奴佳テ(ナカテ)という。
七万余戸ばかりがある。
女王国より北の諸国は、その戸数と道里をほぼ記載できるが、その他の周辺の国は、遠くへだたり詳しく知りえない。





魏志倭人伝4
 そこで、それらを列挙すると、
斯馬国・已百支国・伊邪国・郡支国・弥奴国・好古都国・不呼国・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・奴国で、ここまでで、女王国の境界はつきる。
 その南にあるのが狗奴国で、男子を王とし、長官に狗古制(智)卑狗(クコセ(チ)ヒク)がいる。
この国は女王国に服属していない。
 帯方郡より女王国までを総計すると、一万二千余里となる。・・・次ページへ続く











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